2020-01-28 第201回国会 衆議院 予算委員会 第3号
皇室主催、まさに鹿鳴館時代、明治の元勲たちが外交使節をもてなし、国際親善を図った。なぜか。不平等条約を改正したかったからであります。 観桜会として続いてきた会が戦争で中止になり、そして敗戦後、独立して再開したのが二十七年。恐らく、当時の吉田茂首相も同じような心象風景だったんじゃないかと思います。列強に認められたい、あるいは敗戦後の日本の復興を世界に対して示したい。
皇室主催、まさに鹿鳴館時代、明治の元勲たちが外交使節をもてなし、国際親善を図った。なぜか。不平等条約を改正したかったからであります。 観桜会として続いてきた会が戦争で中止になり、そして敗戦後、独立して再開したのが二十七年。恐らく、当時の吉田茂首相も同じような心象風景だったんじゃないかと思います。列強に認められたい、あるいは敗戦後の日本の復興を世界に対して示したい。
物の本によれば、一説によれば、一八九〇年、施行されなかった民法は、当時のおめかけさんを家族に入れていたけれども、鹿鳴館時代に、条約改正のために、西洋の一夫一婦制でないと条約改正もできないから変更されたのが一つの原因であるという本を読んだことがございます。その真偽のほどは別として、一夫一婦制になって、それで家制度が一八九八年に創設されたわけでございます。
例の鹿鳴館時代をつくった人たちはともかく文明開化の世の中にしなきゃいかぬ、これは西欧の合理的精神を取り入れようという運動と言ってもいいかと思うんです。これと同じようなことが、若干意味は違いますけれども、これからの日本に求められているんじゃないかと思うんです。
それから、明治維新の直後、これは鹿鳴館時代という大変な欧化の時代がございましたけれども、あのときの伊藤、大隈その他の明治の元勲たちのあの極端な欧化政策があって、初めて明治二十年代に日本の国力がついて、しかもあのときに日本の文化は非常に大きなさま変わりをいたしました。もう徳川時代とは打って変わった新風俗が日本につくられたわけでございます。
そういう意味においてむしろ今日は国際関係で各地の具体的な事例にぶつかって困難しながら外務官僚なり通産官僚の優能な方が新しい一つの世界の中における日本の国づくりなり何なりというものを私は正確に把握しつつある人が多いと思いますが、やはり人によっては実際家といっても学問的な理論的な武装なしにはいままでのような国際関係において、ただ単にパーティー、ダンスなんという古い鹿鳴館時代のそれから抜け切れないような関係
そういう意味では、その計量単位の完全な統一化というのはいわばもう日本の建築をやめて全部洋風の建築にする、もしくは和服をやめて背広にすると、そういった鹿鳴館時代の志向が依然として続いているのではないかという懸念を持つわけでございます。
私は、これは一つには、戦前の、明治からのいわゆるヨーロッパの文明を大急ぎで取り入れた鹿鳴館時代の物の考え方が依然として皇室を取り巻く中にまだ根強くあるんじゃないか。赤坂の迎賓館にしてもその感を強くいたしますし、そのことが一つの反動として天皇陛下に着物を着せようというふうな形にあらわれてきているんです。 ただ、私はそこで心配するのは、つい最近も会長の永六輔さんと話し合いました。
当時は鹿鳴館時代、文明開化の時代で国論が四分五裂して天下は麻のごとく乱れていた。 当時の文献を見ると、今日の情勢と全く酷似している。終戦後、昭和二十三年、衆参両院で教育勅語の失効宣言が行われた。これは天皇が主権者でなくなり、主権在民になったために、天皇の命令で教育を行う根拠がなくなったからであります。教育勅語の失効宣言により、教えそのものが間違っていたような鎖覚を国民に与えてしまった。
がみずからの富を独占するのじゃなくて、もっと気の毒な人たちのために金を出そう、先進国にも働きかけてこれを見習わせたこの善意の行為ですが、この善意の行為の中に本当に魂を入れることができるのは、百年足らずの間に先進国の仲間入りをすることができた日本人の持っている、これが日本民族のエネルギーの源泉である、それを私は諸国に与えていくのが日本の農業技術者の役割りであり、また外務省というのにも、いままでのような鹿鳴館時代
そうしますと、当然そういうものは、明治五年以来ちゃんとそれだけの廃棄物なんということについては、近代的な汽車ぽっぽなんですから、文明開化が叫ばれ、しかも鹿鳴館時代などと言われて、ああいうことをやっていた時代を経過しておるわけでしょう。なぜ今日までそれをやらなかったのだ。
ベルリンの町に参りましても、ニューヨークに参っても、東中野ぐらいのところに行けばウサギ狩りもできるという風景でありますのに、明治の鹿鳴館時代以来何百、何万、何十万、何百万という人が外国に行きながら、都市計画について学ぶことがなかったということは、何という情けない、あさましいことであろう。私は涙が流れるような思いがするのでございます。
いわゆる鹿鳴館時代の民主主義流行、それから第一次大戦後の思想混乱と今度が三回目であります。民主主義というのは、私の見解では、日本の伝統にのっとった民主主義でないと国家を破壊するようなことになると思いますが、この点についてはいかがですか。